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3.11後の世界 相馬から見える景色

   

3.11後を生きる相馬市の現在

今日で東日本大震災から7年ですね。2016年に故郷に帰ってから相馬の現在の日常を撮影してきました。既にブログやTwitterでもご紹介した写真も多いですが、オムニバス形式でご紹介いたします。

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相馬中村神社の神馬の狛犬です。

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今年の冬の相馬の様子。相馬は西に阿武隈山脈があり東に太平洋があるため雪はあまり降りません。手前を流れる川は宇多川です。相馬地域は元々は宇多郷と呼ばれていました。宇多郷が文献に最初に登場するのは8世紀頃の『続日本紀』の「割陸奥国之石城。標葉。行方。宇太。曰理。常陸国之菊多六郡。置石城国」が初出とされています。奈良時代と思われる日本最古級の踏みふいご式たたら場も相馬の山間部から出土しており、相馬地方は大和朝廷による蝦夷征討の兵站拠点であったと考えられています。

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相馬の妙見神社・相馬中村神社の2018年初詣の様子です。奥にある本殿は震災時の損壊を修復中ですが、大勢の初詣客が訪れていました。相馬中村神社は平将門(相馬小次郎)が妙見社を建立したことを始祖としています。祭神は日本開闢に関わったとされる天之御中主神です。

相馬には他に黒木諏訪神社という神社があります。ここには古い言い伝えが残っていて、大昔に津波がこの神社まで押し寄せた時、神社の大木の先端に船の碇をつないで難を逃れたと言われています。この神社は東日本大震災で浸水した場所よりも更に内陸で、市街地を越えて山間部の入り口にあたります。この神社まで届く津波が来たのはいつだったのか。貞観地震か、慶長三陸地震か、あるいはそれ以外の記憶が残っているのか。現在も分かっていません。

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相馬市は1611年頃に相馬家が中村城に居城を移したことから城下町として栄えました。中村城の城下は京を意識して碁盤目状に街区が整理されました。こちらはかつて遊郭であった場所を活用した料亭と言われています。

この1611年には慶長三陸地震と呼ばれる大地震が発生し、相馬領内でも七百人が溺死したと記録が残っています。この慶長三陸地震は仙台藩の『貞山公治家記録』や幕府関係者の『駿府記』で「津波」が起きたと記述されており、これが日本の文献の中で「津波」という言葉が登場する初出となっています。この頃にスペイン人のビスカイノ提督が相馬藩を訪問していますが、相馬藩の津波による被害がノビスパニア(メキシコ)の副王に報告されています。

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相馬市の伝承鎮魂祈念館に展示されている津波で流された地域から見つかった持ち主不明の写真です。

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毎年、相馬市では放射線内部被ばく検診があります。検診は任意ですが、相馬市では相馬が安全であることを証明するためにも多くの人に検診を受けるように呼びかけています。

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地元の新聞の折り込み求人チラシ。除染の仕事は待遇が高くなっています。それでも一時期に比べると除染の仕事は大分減りました。震災復興で4倍ほどになっていた相馬の有効求人倍率は現在は全国平均以下になっています。

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相馬市役所は2016年に新しい庁舎に移転しました。放射能対策室は1階です。

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相馬駅です。相馬駅から北側の鉄道が津波で流されてしまったため常磐線は長らく不通になっていましたが、2016年12月に相馬から下り(仙台方面)の路線が復旧しました。上り(上野方面)も浪江町まで行けるようになりましたが、それ以降は立入禁止区域を通るため現在も復旧していません。

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相馬港。現在も相馬周辺の漁は「試験操業」という扱いで採れる魚の種類や船で漁に出られる回数が制限されています。私が撮影しているときには操業している漁船は見掛けませんでした。

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松川浦大橋も津波のダメージのため通行止めとなっていましたが最近通れるようになりました。小松島と讃えられた松川浦は海苔の養殖が盛んだったのですが、2万あった養殖用の棚が津波で全滅しました。今年になって震災以来初めて海苔の出荷が小規模ですが再開しています。

震災後に亡くなった母が松川浦大橋音頭という演歌をよく聴いていました。「これ聴ぐど元気だっだ頃の相馬を思い出すんだぁ」と言っていました。松川浦大橋音頭の女性歌手は津波で流されて亡くなっています。

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川口稲荷神社。下の地図のように海に面した場所に建てられています。鳥居は流されましたが本殿は高台にあったので無事でした。相馬にはこのように海に面した場所で高台に建てられていた神社が数多くあります。先人達が残した教訓であったのかもしれません。

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民宿街の一部は再建されています。ほぼ全域が津波で流されたのためほとんどが新しい建物に変わっています。

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元は民宿街でしたが相馬港の倉庫として再建された地域もあります。

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漁港の近くの売店では出荷制限が解除された海産物を買うことができます。私も買って食べています。

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津波で流された地域を使ってソーラーパネルの設置が進んでいます。奥に見えるのは相馬共同火力発電所です。

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写真では伝わらないかもしれませんが、見える景色がほぼ全面ソーラーパネルな場所もあります。

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震災後に相馬市が建造した防災備蓄倉庫「相馬兵糧蔵」。災害時にはここが宿泊や調理の場としても機能でき、ヘリポートも備えています。奥には震災直後に避難を呼びかけて犠牲となった相馬の消防士の方々の遺影が置かれていました。

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ルイ・ヴィトン社の支援でできた子どもへの本の読み聞かせ施設。一般の児童図書館としても使われていますが、震災でPTSDとなった子どもを支援する目的もあるとのこと。

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小さい頃に遊んだ公園には放射線モニタリングポストが設置されていました。

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シンガポール赤十字の支援で再建された磯部コミュニティセンターです。おばちゃん達が民謡の練習をしています。屋根裏にも昇れるようになっていて、津波が来た時には避難できるようになっています。

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相馬野馬追の騎馬武者。戦闘力が高そうです。

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野馬追というと騎馬武者のイメージが強いですが神社や神馬の行列もあります。

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南相馬市の痛車です。

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相馬港に護衛艦すずつきが親善寄港。それを見学する相馬市民の様子。現在では自衛隊も珍しい光景に戻っています。

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相馬の市民ホール「はまなす館」で映画「この世界の片隅に」を観る相馬市民。相馬には映画館がありませんが地元の団体や市民の協力で上演が決まったそうです。原爆が落とされたあたりで周りからすすり泣く声が聞こえました。

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福島市と相馬市を結ぶ福島相馬道路。昨日3月10日に相馬玉野ICー霊山ICが開通しました。開通式には安倍総理が訪れ「世界中の方々にこの道路を使ってもらい、復興した福島の姿を体感してもらいたい」と演説、その後に相馬の漁港を視察されたそうです。

www.sankei.com

震災以後、変わったところと変わっていないところをご紹介してきました。今年の夏には震災と原発事故以来中止してきた海水浴も再開されます。徐々に日常を回復しつつありますが、震災と原発事故の爪痕は大きく、再び元の姿に戻るまでは長い時間が必要かもしれません。

相馬盆唄(福島県)

相馬盆唄(福島県)