はてな村定点観測所

運動、瞑想、睡眠、野菜350g

「髪の先まで自由に生きていたいのと くすんだ街を見つめ唇震わせてた」

   

はしごたんとのTwitter

一昨日から昨日にかけて少し色々あって、最近までほぼ毎日はしごたん(id:kuroihikari_h) とTwitterのリプライやDMでお話していたのですが、私側の都合でしばらくいったんTwitterでの交流を控えたいとお話しました。

普通に使っていれば見えないはずの別な方とのリプライでの会話も追ってしまっている自分がいて、私の方で「嫌なら見るな」を肝に銘じれば良いのですが、まだそこまでメンタルの強靭化に成功していなくて…。

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(はしごたん)

一昨日も2階で寝ようとしていたけど眠れなくてトイレに行こうとして立ち上がったら目眩がして、近くのテーブルごと一緒に倒れてしまい、1階の父が目を覚まして駆けつけるくらいのすごい音を出してしまいました。

足と腕に中破レベルの傷を負って血が流れました。3日目の今日は大分痛みも少なくなってきたけど、まだズキズキ痛みます。実家に帰ってだいぶ健康になって離脱症状も落ち着いてきたけど(今は1日2錠の薬しか服用していません。アルコールもなし)、まだメンタル要因の不健康さは完全には治癒できていないようです。

事情をお話したらはしごたんも察してくださって、私の心の偏狭さゆえに起きている問題なのに優しい言葉を掛けてくださって、しばらく私が落ち着くまで待ってくださることになりました。

彼女は自爆しながらも自分に正直な告発者であろうとした

先日のはしごたんのブロガースカウトの記事。

blog.kuroihikari.net

この記事に関して「嫉妬」というブコメが溢れて、確かに私もそういう面は文章からも感じたけど、それも含めてはしごたんの記事は人間味に溢れていて、変な正義感をまとって裸の王様になっている人よりもよっぽど正直で私は好きです。この点はid:kiyosemiさんのブコメと同意見。

kiyosemi 否定的な意見が多くて驚いた。毒にも薬にもならん何ら人間性が見えない擁護よりも、彼女の怨嗟の方がよほど人間的だと思うけど。少なくとも私にとっては彼女の思考の方が興味深い。

ブロガースカウトの件は一部の人の間では公然の事実とはなっていたけど、あの記事をきっかけに多くの一般の方々も知ることとなりました。彼女は「嫉妬」と多くの人に石を投げられながらも自分の心の声に正直な告発者であろうとして、その声が多くの人に届いて賛否両論が起きました。

私はリンゴ日和。さんのブログも好きで書籍も購入しました。はてなもFC2を使っていたトイアンナさんにメールを送ってはてなブログに引き抜いてきた話は有名ですが、それ以外にもはてなの引き抜きの話も色々耳にしています。

この辺のスカウトに関する裏事情はいつか記事にまとめるかも。

殴り合いの中から相互理解が少し前進することもある

ネットでの直接的な殴り合いを忌避する方々もいてその心情もよく理解できるのですが、お互い本音で殴り合うことによって相互理解が少し前進することもあります。

最近では人生の先輩で友人のnekohanahimeさん(電通の過労死で自殺された女性と同じ東大・東大院出身の男性)がトイアンナさんが書いた電通の女性への記事に対して猛烈に怒っておりました。

toianna.hatenablog.com

100%お互いが理解し合える状態ではないけど(そんな状態は人間の空想上の世界だと思う)、お互いが建前ではなく本音で直接対話をすることで少し理解が前進したように感じました。

自分に出来ることはそれを繋げる橋渡し役くらいですが、今回のやり取りが生まれて良かったと思います。これはネットでなければなかなか実現できないことだと思います。

ディスコミュニケーション状態の放置は誤解の連鎖的な拡大しか生まない。

はしごたんとTM NETWORK

はしごたんとTwitterでの交流を一時的にお休みすることになった直前、はしごたんはTM NETWORKのツイートをされていました。

TM NETWORKは私も高校時代に大ファンで、特に「GIRLFRIEND」が好きでした。小説が映画化された「ぼくらの七日間戦争」の曲を収めたCDの中に入っていましたが、主題歌の「SEVEN DAYS WAR」よりも「GIRLFRIEND」の方が断然好きでした。

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(「ぼくらの七日間戦争」)

「GIRLFRIEND」はこんな曲です。

www.youtube.com

髪の先まで自由に 生きていたいのと
くすんだ街をみつめ くちびる震わせてた

少しずつでも 今を変えて行きたいと
幼気な目の奥で 夢を抱きしめていた

強がりの君を ずっと自慢にしてほしい
激しさは君を キレイにするから

隠せないくらい 悲しみ胸に抱えても
負けない瞳で 明日を見返して
   
(TM NETWORK「GIRLFRIEND」)

僕はこの曲を聴くのが大好きで、高校生雑誌創刊計画が地元紙で採り上げられたのをきっかけにラジオ番組にも出演するのですが、そこで最後のBGMで掛けてほしい曲を聞かれて迷わず「GIRLFRIEND」を選びました。

本当にガールフレンドが出来るならこんな子が良いと思っていました。

共産主義への傾倒

高校時代の私は相馬高校の理数科に入るのですが、急速に学校への興味を失っていきます。理数科といっても理数系の科目が多いわけではなく、事実上の国公立大学向けの進学クラスでした。

本来はELTの外国人の先生と英会話を楽しむはずの授業がおっさんの英語の先生の文法演習に充てられたり(普通科ではELTの先生との英会話を楽しんでいた)、高校1年生から夏休みの勉強合宿への参加が理数科だけは必須で、合宿以外の日もかなりの夏休みが登校日になって受験対策授業に充てられたり…。

相馬高校は男子校でしたが、理数科だけは例外的に女子の入学が認められていました。私の同期は女の子が多くて14人いたのですが、みんな学校では問題集を解いている姿しか見なくて、相馬の砂浜を一緒に走っていく青春を思い描いていた自分の夢は潰えました。

イジメもあったし(理数科の中だけではなく、普通科からも「お前ら理数科は勉強にしか興味がないんだろ!来るんじゃねえよ!」と追い出されたり)、体育教師からも「お前らは勉強しかやってねえから体が弱いんだ!」としごかれたり、私が3年間3回と理数科のホームルーム長(学級委員長)に投票で選ばれてバラバラなクラスをまとめる調整に追われたり…学校に行くのが嫌になってきました。

そんな私が逃げ込んだのが共産主義思想でした。当時の私は左傾で(今も極左かもしれないですが)、『中央公論』に載っていた"Foreign Affairs"の邦訳を通じてフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」論争にも触れたのですが、共産主義は人間疎外などまだ学ぶべき点が多いと思って、厨ニ病のようにマルクスなどの古典を読み漁りました。

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「ヨーロッパに亡霊が出る」という書き出しで始まる『共産党宣言』は学校の図書館でも読めたけど、それ以外の書籍は学校の図書館だけでは不足していました。そこで学校をサボって市民図書館へ。

市民図書館には『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』『賃労働と資本』『ゴータ綱領批判』などの重要文献が誰も借りずにホコリをかぶったまま置いてあって、さらに嬉しいことに資本論が全て揃っている状態で置いてありました。私はその宝の山に感激して、朝に学校にフリをして市民図書館に通いました。学ランのまま本を読んでいたけど、司書の人などに呼び止められることはありせんでした。駆け込み寺としての事情を察してくれたのか、無関心であったのか、ともあれ私は市民図書館で一日中共産主義の文献を読んでいました。

『資本論』は高校生が読み解くには重厚長大すぎて内容を十分に理解できませんでしたが、唯物史観、疎外論、物象化論、剰余価値、私有財産の否定、「上部構造」「下部構造」など目からウロコ発想が続々と登場しました。共産主義の研究を進めていく中で、安保闘争や全共闘、近代化や東洋思想、戦前の日本のおける興亜論や京都学派にも関心を持つようになり、「黄禍論」(白色人種の植民地支配に対して黄色人種の逆襲が始まるとする19世紀末からヨーロッパ諸国で唱えられた脅威論)についての論文も書いた。

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(黄禍論を描いた絵画「ヨーロッパの諸国民よ、諸君らの最も神聖な宝を守れ」右手には仏陀と思われる肖像が描かれている)

そして私は学校の授業でも社会科学の本を読むようになりました。学校の古典の授業で教室の最前列で、私は明らかに古典の問題集とは違う本を開いていました。「こら、齊藤!お前は何を読んでいるんだ!?」「ルソーの『社会契約論』です」と答えると先生は少しうろたえて,「そうか、受験に必要なんだな。わかった」というようなことを言っていたように憶えています。どちらもある意味、古典。私は少しだけ解放された気がしました。この無機質な校舎の殺伐とした受験対策で、私だけ自由になるために自由に本を読んでいるのだ。厨ニ病的な充実感がそこにはありました。

体制支配の拠点・相馬警察署に乗り込んだ

青かった私は体制支配の拠点と思っていた相馬警察署に1人で乗り込んだこともありました。

相馬警察署の偉い人が相馬高校を訪れて、交通違反や防犯意識などについて普通科と理数科の生徒を前に講演を行ったことがありました。

話の内容はもうあまり憶えていないが、内容は恐ろしく陳腐なもので、基本的に道徳とルールの説法でしかなかったです。あまりに退屈なので普通科の生徒を中心にガヤガヤと話し声が響くようになりました。

それにキレた相馬警察署の偉い人が、講演の途中で「君達は人の話を聞けずにうるさすぎる。これから相馬高校の生徒の違反行為を見つけたら絶対に処罰する!絶対だからな!」と怒って先生方の途中制止も聞かずに帰ってしまったことがりました。

私はその相馬警察署の対応に問題があると思ったので、その日の放課後に相馬警察署に向かった(相馬警察署は実家の近く)。そして「相馬高校の者ですが、先ほど相馬高校で講演をされていた方とお話をしたいです」と窓口に伝えました。

そうしたら私は相馬警察署の署長室に案内された。私は相馬警察署の署長と先ほど講演に来た人の2人を相手に自説を展開することになりました。

私はまず先程の講演内容は常識的な話の繰り返しであり、何ら独創性に乏しく聞くに値しない話であったこと、そのことを反省することなしに相馬警察が相馬高校の生徒を必ず処罰すると話して退場したのは恫喝であり、公権力を行使する側の警察がこのような恣意性で以て行動することは法の支配に基づく民主社会に反する権力の濫用であることを主張しました。

一通り署長は私の話を聞いた上で、私に関して「勇気ある行動」と言ってくれた。ただ、その後は署長の持論でした。最近の若者は歴史を勉強しない。だから国や故郷を愛する心がなく社会の秩序が乱れてきている。君は自分の主張を話しに来た勇気と知性ある学生だけど、世の中は個人主義で満ちていて歴史と伝統を尊ぶ心が失われてきて、君のような学生だけではない人達が増えているので警察もその中で対応する必要があるというお話だった。そして若者はもっと歴史や伝統を尊ぶ心を学ぶ必要があると。

私は署長が右派の思想を持っていて、この話でいう「歴史」というものがどういう歴史を指しているのかすぐに把握できたけれど、それ以上の追及はしませんでした。権力の走狗と話しても時間の無駄だと思ったためです。何とか私の行動によって署長も「相馬高校だけ特別に処分することはないようと先ほど講演に来た人に話してくれて、本件は一件落着しました。

翌日に理数科の仲の良い友人数人に話した以外はこの件は秘密にしていたけど(友人達からは英雄視された)、ホームルーム長だったので次の教科の時間を確認しに職員室に行ったら、生徒指導担当の先生から「齊藤、昨日相馬警察署に行かなかったか?」と聞かれました。「行きました」とだけ答えると「そうか」とだけ返事が返って来ました。それだけ。

そんな感じで「連帯を求めて孤立を恐れず」反権力の立場から権力と戦うことに酔っていた青い頃のお話でした。

新装版 60年安保闘争の時代

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