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はてな村定点観測所

汚物は消毒だ〜!

「遠くの出来事に人は美しく怒る 近くの出来事に人は黙り込む」悪の凡庸性・騙された者の罪

人間の悪について

人間の悪について思い返していたので、大学2年生頃の過去の思い出を少し振り返りながら書いてみます。

大学2年生の塾講師の思い出

大学2年生の頃に埼玉県で中学の国語科の塾講師をしていました。時給5,000円に釣られて塾講師を始めてみたけど、授業の準備の時間は時給計算にカウントされないので、総時間数で見るとけっこう安かった。

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(塾講師はスーツ着用が義務だったので、スーツを来て出勤前の自分をデジカメで撮影しました)

埼玉県の高校受験は以前にも書いたことがありますが、「北辰テスト」という業者テスト対策が非常に重要です。高校入試の結果はあまり重要ではなく、この北辰テストの結果を高校に提出することで合否が決まる場合が多いです。北辰テストを受けずに入試だけで合格する人もいますが。

北辰テストは毎回傾向が同じで、国語の場合は文学的文章(物語文)・論評的文章(説明文)・古典か漢文・文法・漢字・作文が出題されます。良問が多くて受験生のどんな能力を試しているのかが分かりやすい。

坂戸校で20人の子供達と文通した

塾講師になって最初に赴任したのは埼玉県坂戸市にある坂戸校で、そこで成績上位のクラスを担当することになりました。1クラス大体20人くらい。塾では全教室にビデオカメラが設置されて録画されていたので、あんまり変な授業はできないようになっていました。

基本は塾の用意したカリキュラムに従って北辰テスト対策の授業を進めていくのですが、そればかりでは息が詰まると思いました。毎回の授業の後には確認テストを行うことになっていたのですが、「確認テストが早く解けた人は用紙の裏に自分の好きなことを書いていい」と話しました。北辰テストの作文対策の意味も含めて。

何回かそれを繰り返していると、今日起きたことや、私の授業の感想、最近読んだ本、好きな音楽、好きなプロ野球選手など20人が自由に答案の裏に文章を書いてくれるようになりました。文章が苦手な子はイラストを描いてきて私もイラストも良いと話しました。

そして次回の授業までに、答案を採点するのと一緒に全員の答案の裏の文章に私からの手書きのコメントも書いていきました。20人全員と文通していた感じです。私からの返信があるので、みんなもそれが楽しくて色々な長い文章を書いてくるようになりました。文章とイラストで説明してきたりとか。私もイラストには自分もイラストを描いて答えました。その時間は時給には入っていないけれど私も楽しかった。

授業で石川逸子の詩を採り上げた

北辰テストの文章問題は物語文も説明文も基本は長文なので、詩はほとんど出題されません。カリキュラムもそのように編成されています。でも国語の文学的理解を広げるために私の授業では少し詩の鑑賞も採り上げました。

塾には色々な教材が買い置きしてあったのですが、その中でも自分が印象に残った詩の教材を授業で扱いました。

その中の1つに石川逸子の「風」があります。こういう詩です。

「風」 石川逸子
  
遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
 
近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
吹いていった風)
 
遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
 
近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる
(おれはそのわけを知っている
吹いていった風)
  
近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
吹いていった風)
  
近くのできごとに
人はおそろしく
私たちは小さな舟のようにふるえた
(吹いていった風)
  
遠くのできごとに
立ち向かうのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向かうのは近くの私たち
  
(あたりまえの歌を
風がきいていった
あたりまえの苦しさを
風がきいていった)

これは元々は戦争と子供をテーマにした詩ですが、「遠くの出来事に人は美しく怒るとは例えばどういう事なんだろう?」「近くの出来事に人は黙り込むとは例えばどういうことなんだろう?」と生徒達に問いかけました。海外での戦争以外にも、学校でのいじめ、恋愛、殺人事件など子供たちがそれぞれに思い浮かべた答えが帰ってきました。

それぞれの答えを元に、「近くの出来事に人は黙り込んだり新聞紙と同じ声をあげるのはどうしてなんだろう?」「近くの出来事に自分達の声をあげるには何が必要なんだろう?」と問いかけて、子供たちと一緒に考えました。そしてここに登場する「風」とはいったい何なんだろうと。ちょっと国語の授業から逸脱してしまっていたかもしれません…(^_^;)

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(イスラエル軍の戦車に石を投げる子供)

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(「ホテル・ルワンダ」。ルワンダで大虐殺が発生した時、国連は平和維持部隊を派遣していたが、平和維持部隊のベルギー人10人が民兵に殺害される。この事件によって各国の平和維持部隊が虐殺を放置して撤退を開始する)

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(「ホテル・ルワンダ」。大虐殺が繰り広げられる中で平和維持軍が撤退して取り残された人々)

こういう作品を通じて国語を学んで多くのことを自由に考え感じてほしかった。北辰テスト対策に必ずしも重点を置かなかった私は塾講師として失格であったのかもしれません。

でも今まで国語が大の苦手だった子が、「今まで国語は大嫌いで何でこんなことを勉強しなきゃならないんだろうと思っていたけど、齊藤先生の授業を聞いて国語が面白いと思うようになりました。今は国語が一番楽しいです」と答案の裏に書いてきてくれた時にはすごく嬉しかったな…。あれから17年くらい経つけど、今も国語を好きでいてくれているだろうか。

カール・シュミットの議会制民主主義批判

こういう授業を行ったのは、大学1年〜2年の頃に法政大学弁論部だったびやん君にカール・シュミットやハンナ・アレントの本を勧められて読んだ影響が大きいです。

第一次世界大戦で無条件降伏したドイツは、ベルサイユ条約によって多額の賠償金と様々な規制を受けて貧しい国として再スタートすることになりました。戦後のドイツはワイマール憲法を制定して世界で最も民主的な国となりましたが、与党の社会民主党はドイツ経済を立て直すことができず、議会で無力な駆け引きを行っていました。1929年の世界恐慌でドイツ国民はハイパーインフレに苦しむことになります。そこに大胆な主張をする政治勢力が台頭していきます。ナチスでした。

公法学者カール・シュミットはナチスを理論的に支えた人物です。シュミットは、議会制民主主義の問題点を鋭く指摘したことで知られています。彼は、自由主義と民主主義を区別するべきであると唱えました。民主主義は議会制民主主義によって実現されるのではなく、議会の根本は自由主義であり、これは民主主義とは本来異質であるとしました。

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シュミットは、多数決が真実に近いとする考えは本来は自由主義に基づくものであり、「大衆の意思」の実現を理念とする民主主義は、多数決を否定しても実現しうると指摘しました。むしろ多数決や議会政治は、選挙民の意思をはなれた場所で「代表」が駆け引きや妥協による無力を演じています。ナチスの出現は、このような代表制による大衆の意思の疎外を廃し、大衆の拍手と歓呼で強力に政治を推進し、ドイツの復活と失業問題の解決という大衆の意思を実現させました。このような論拠に立ち、彼はヒトラーによる独裁政権が民主主義的であるとしました。

さらに彼は、秘密投票にも批判を展開しました。秘密投票は、選挙民を「個人」に還元させてしまいます。誰にも自分の意思決定が見られることはないので、それぞれの個人が「私的」な部分を持つことになります。公開の場で拍手や喝采で意思表示をしないような人の見解も大きな影響力を持ち、秘密投票による意思決定は「私的」なものになってしまうと主張しました。

また彼は政治の本質は「友敵理論」であり、物理的手段によって相手を殺戮する敵対関係こそが政治的対立であると指摘しています。そのような状況は国内においては内戦、国外においては戦争として表面化すると主張しました。

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シュミットは戦後にナチスに協力した人物として論壇から追放されますが、議会が形骸化して必ずしも民意を実現できていないこと、保守とリベラルに社会が分断されて相互理解ではなく敵対関係が表面化している現代は、まだシュミットの提起した問題に対して十分な答えを見つけられていないのかもしれません。

1935年、ヒトラーはベルサイユ条約で保有を禁止されていた空軍の存在を世界に宣言。ゲルマン民族の生存圏を掲げて近隣諸国を次々と併合していきます。

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色あせながら ひび割れながら
輝くすべを求めて
  
君と出会った奇跡が
この胸にあふれてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
  
切り札にしてた 見え透いた嘘は
満月の夜に破いた
はかなく揺れる 髪の匂いで
深い眠りから覚めて
  
(スピッツ「空も飛べるはず」)

ナチス政権下のドイツでは大規模な焚書が行われました。大学や公共施設の図書館からナチスの思想に反する自由主義の本やユダヤ人の書いた本などが集められ、人々がそれに火をつけて燃やす大衆運動が繰り返されました。

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ユダヤ人の子として生まれたハイネの本も燃やされることになります。ハイネの本には「本を焼く者はやがて人を焼くようになる」と書かれてありました。

アレントが説いた「悪の凡庸さ」

ハンナ・アレントはユダヤ系ドイツ人の哲学者・政治学者です。

彼女はナチスによるユダヤ人の弾圧が続く中、ユダヤ人の国外脱出を支援します。彼女自身もフランスへと移るのですが、フランスがドイツに降伏すると逮捕されてフランスに設置された強制収容所に送られます。しかし彼女は強制収容所からの脱出に成功してアメリカに亡命します。以後、アメリカの大学で教育・研究活動を続けて『全体主義の起源』や『人間の条件』などの書籍を出すことになります。

1960年、アレントに大きなニュースが飛び込んできました。それはナチス時代に「ユダヤ人問題の最終解決」政策を遂行して600万人ものユダヤ人の虐殺を行ったアドルフ・アイヒマンが逮捕されたというニュースでした。

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(アドルフ・アイヒマン)

アイヒマンは第二次世界大戦が終結すると極秘裏にアルゼンチンへ亡命して名前を変えて生活を行っていました。しかし、イスラエルの諜報機関モサドがアイヒマンがアルゼンチンに潜伏していることを突きとめ、1960年にアイヒマンを拘束してイスラエルに連行します。

アイヒマンはイスラエルでユダヤ人虐殺と戦争犯罪者として裁判を受けることになります。アレントはそのアイヒマン裁判を傍聴しにイスラエルに駆けつけます。

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(イスラエルで裁判を受けるアイヒマン)

アイヒマンを知らない人でも、彼の「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」という言葉は有名なので聞いたことがある人も多いと思います。彼は裁判で「命令に従っただけ」として、このような主張を繰り広げます。

アレントはアイヒマン裁判を傍聴して、アイヒマンは政策決定に忠実で思考停止していた役人にすぎなかったとして「悪の凡庸さ」を主張。その見解をアメリカの新聞『ニューヨーカー』で発表して、アレントはナチスを支持するユダヤ人として多くの人々から批難されることになります。

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アレントはユダヤ人の強制連行には当時のユダヤ人指導者もリストの作成に携わっていたこと(そしてそのユダヤ人指導者にはイスラエル建国の中心人物となった者も多いこと)、パレスチナ人を追い出したイスラエルにアイヒマンを裁く権利が存在するのか、アイヒマンは思考停止していたに過ぎず、この「悪の凡庸さ」が全体主義を生み出すと指摘ました。大論争を巻き起こすけれど、アイヒマンはイスラエルで処刑されることになります。

この話は近年映画化もされています。私も岩波ホールまで観に行って、Blu-Ray版も買いました。オススメの映画です。

予告編はこちら。

www.youtube.com

彼女の問題提起が正しいものであったのかは多くの議論があります。でも、幾つかの証言でも強制収容所で虐殺を行っていた人々は家庭に帰れば良き夫であり、良き父でもあったと言われています。彼らは日常の仕事を行うような感覚でユダヤ人や障害者をガス室へと送り込んだのです。

このような平凡な人間が行う悪こそが全体主義を生み出したのであり、この「人類の罪」の問題を解決することなしには人はまた同じ過ちを冒してしまうという問題提起は現代に通じるものがります。

騙された者の罪

日本でも、このような罪に関して議論されたことがありました。以下は第二次世界大戦の終結直後に戦争に協力した映画関係者を処罰しようとする動きに対して、伊丹万作が書いたものです。

伊丹万作 戦争責任者の問題

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
(伊丹万作 戦争責任者の問題)

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(太平洋戦争中の1942年に東條内閣は衆議院を解散。総選挙が行われ大政翼賛会の推薦候補が非推薦候補に圧勝した)

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 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察や官僚にのみ負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣に反省しなかつたならば、日本の国民というものは永久に救われるときはないであろう。
「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。 (伊丹万作 戦争責任者の問題)  

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「西日本に向かう列車などに、妊娠中、乳幼児を連れた方を優先して乗車させていただきたい」
「どうか、国民一人ひとりが、冷静に行動し、いたわり合い、支え合う精神で、どうかこの難局を共に乗り切っていただきたい」
(原発事故当時、最悪のシナリオ(首都圏も避難区域になる)場合に備えて準備されていた首相談話。劇作家で内閣参与だった平田オリザ氏が作成)

大学2年の時に考えていた悪の凡庸さ・騙された者の罪・遠くの出来事にだけ美しく怒る人々を思い出して記事を書きました。